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溥儀の料理番 28話・29話・30話 溥儀が紫禁城を去る

溥儀の料理番 28話・29話・30話では、端康太妃を毒殺した疑いをかけられた容児を救うため、李琪が改ざんされた処方箋の真相を調べます。容児の無実が証明された直後、馮玉祥側の軍が紫禁城を包囲。溥儀はついに宮城を去ることになりました。

 

28~30話の内容

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第28話を見る
端康太妃の死をめぐり、黄芩を十倍に書き換えられた処方箋によって容児が毒殺を疑われます。

第29話を見る
李琪が処方箋の改ざんを証明して容児の無実が判明する一方、馮玉祥側の軍が紫禁城を包囲します。

第30話を見る
溥儀が退去条件に署名して紫禁城を去り、容児は残された敬懿太妃たちの世話を続けます。

 

他のエピソードを見たい方は
溥儀の料理番 あらすじ ネタバレ一覧をご覧ください。

 

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溥儀の料理番 28話 容児に毒殺の疑い

ストーリー

容児の薬から大量の黄芩

端康太妃の死後、敬懿太妃は容児が作った十全大補膏を疑って処罰を要求します。調査した薬の残りから大量の黄芩が見つかり、宮外の医師も端康太妃の体には悪影響を与える量だと判断しました。

処方箋は一銭から十銭へ

裏では裕得福が御薬房の不正を利用して銭徳海を脅し、容児が優草閣へ持ち込んだ処方箋を改ざんさせます。李琪が店から持ち帰った処方箋には黄芩が本来の一銭ではなく十銭と書かれていました。栄恵太妃もその量を書いた覚えはないと否定します。

容児が父と弟に会う

処罰を覚悟した容児は青児へ身の回りの品を託し、李琪に頼んで父の劉守貴と弟の劉爾に会いに行きます。劉爾が遺書を見つけると、劉守貴は事件に銭徳海が関係していることを口にしました。李琪は容児を逃がすのではなく、真相を調べて疑いを晴らすと約束します。

 

解説:黄芩は本当に薬として使われるもの?

28話では端康太妃が口にした薬から大量の黄芩が見つかり毒殺の証拠とされました。

黄芩は実在する薬材で、黄連解毒湯や小柴胡湯などの漢方処方にも配合されています。

確かに黄芩には副作用もありますが、ドラマのように黄芩の量を増やしたからと言って、それですぐに端康太妃の命に関わったというのは大げさすぎます。劇中でも太医は使い方には注意点はあるものの、黄芩そのものに毒があるとは答えていません。それに薬の作用は量だけでなく、患者の状態やほかの薬との組み合わせなどにも影響されます。

ドラマの端康太妃はもともと病気で体が弱っていました。もちろん黄芩のせいで死んだというのは容児を陥れるための口実です。ドラマの中でも端康太妃は病気が悪化してなくなったことになっています。

 

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溥儀の料理番 29話 容児の無実が判明

ストーリー

銭徳海が口封じされる

端康太妃の死を調べる李琪は、優草閣と宮中の銭徳海がつながっていることを確認します。劉爾がおとりとなり、李琪と李玉玫は銭徳海の隠れ場所を突き止めました。ところが銭徳海と店主は事情を話す前に暗器で殺されます。

処方箋の改ざんが判明

養心殿では容児が審理され、慎刑司へ送られそうになります。そこへ栄恵太妃が処方箋を持参しました。李琪は夾宣の下層を調べ、問題の文字が後から書き換えられたと証明します。宮外の医師も十全大補膏に毒性の問題はなく、端康太妃は病状悪化で亡くなったと判断しました。

紫禁城を軍が包囲

容児の疑いは晴れますが、事件の背後にいた裕得福への処分は俸給一か月分にとどまります。その直後、馮玉祥側が溥儀へ紫禁城からの退去を要求。軍が宮城を包囲し、溥儀は退去を拒みます。

 

解説:馮玉祥は何者?なぜ突然、紫禁城に軍を送り込めたの?

30話では馮玉祥の軍が紫禁城を包囲して溥儀に退去を迫りました。ドラマでは詳しくは描かれていませんが、この直前に北京でクーデターが起きていました。

史実では1924年ごろは中国には全国を安定して支配する政府がなく、北京政府をめぐって軍閥が争っていました。馮玉祥も北京支配を狙っていた軍閥のひとりです。

1924年9月に直隷派の呉佩孚と、満洲を本拠とする奉天派の張作霖が第二次奉直戦争を行い、馮玉祥も直隷派として出陣しました。馮玉祥は呉佩孚を裏切って首都を占領。大総統の曹錕を失脚させて自分の軍を「国民軍」と改称します。これが北京政変です。

その後、馮玉祥の軍事力を使って新しい内閣が成立。溥儀を紫禁城から追い出すことが決まりました。

つまりそれまで溥儀の立場を認めていた政府がクーデターで倒れて、認めない人たちが新しい政府を作ったのでこういう事になってしまったのです。

 

溥儀の料理番 30話 溥儀が紫禁城を去る

ストーリー 30話 

溥儀が退去条件に署名

民国政府の兵士が宮中へ入り、栄恵太妃と敬懿太妃は紫禁城を離れることに抵抗します。敬懿太妃は自害まで考え、溥儀は太妃たちの処遇が決まるまで協議書への署名を拒みました。紹英の交渉で二人だけが一時的に残ることになり、溥儀は署名を受け入れます。

李琪を御前侍衛から解放

神武門では李琪と容児が溥儀を見送ります。溥儀は李琪へ、今後は御前侍衛ではなく友人や兄弟として付き合おうと伝え、十数年間暮らした紫禁城を去りました。

容児が景仁宮の太妃を世話

景仁宮へ移った太妃たちは水や寝具にも困ります。裕得福の行動を疑う容児は、それでも水を運んで粥を作り、夜には宮女たちへ衣類を届けました。敬懿太妃は容児の働きを見て、これまでの自分の態度を振り返ります。

 

解説:溥儀の紫禁城退去は史実なの?

ついに溥儀が協議書を受け入れて紫禁城を去る日が来ましたね。

溥儀は1912年に退位しましたが「清室優待条件」によって皇帝の尊号を残し紫禁城内に住み続けることを認められていました。

ところが1924年に馮玉祥が北京政変を起こして北京政府は「清室優待条件」を改正。溥儀の皇帝尊号を廃止して紫禁城から退去させました。史実でも1924年11月5日に溥儀は紫禁城を退去させられました。

この日公布された「修正清室優待条件」では宣統帝の皇帝尊号を廃止して中華民国国民と同じ法的地位にすると定められました。さらに第3条では清室はその日のうちに宮城から移るよう求められています。第5条には清室の私有財産は清室が所有し、公有財産は政府側へ帰属させるという規定もあります。

ただし、ドラマで描かれたような敬懿太妃が白絹を使って自害しようとしたり、容児や李琪との神武門での会話などはドラマの脚色です。

 

主な登場人物

  • 容児:宮女
    端康太妃を毒殺した疑いをかけられます。処罰を覚悟して父と弟に会いますが、李琪の調査で無実が証明されます。溥儀が去ったあとも宮中に残り敬懿太妃たちの世話を続けます。

  • 李琪:溥儀の御前侍衛
    容児の無実を証明するために調査を続け、処方箋が改ざんされていたことを突き止めます。紫禁城を去る溥儀から御前侍衛の役目を解かれ、今後は友人や兄弟として付き合おうと言われます。

  • 溥儀:皇帝
    軍から紫禁城を出るよう求められます。太妃たちの処遇が決まるまで署名を拒みますが、二人が一時的に残れることになり、退去条件に署名します。その後、李琪と容児に見送られながら紫禁城を去ります。

  • 敬懿太妃:太妃
    端康太妃の死後に容児を疑って処罰を求めます。紫禁城を離れることにも強く反対しますが、景仁宮で自分たちの世話をする容児を見て、これまでの態度を改めます。

  • 栄恵太妃:太妃
    黄芩を十銭と書いた覚えはないと証言します。容児の審理では処方箋を持参して無実を証明するきっかけを作ります。溥儀の退去後は敬懿太妃とともに景仁宮へ移ります。

  • 裕得福:皇帝に仕える太監
    銭徳海を脅して容児が持ち込んだ処方箋を改ざんさせました。容児の無実が証明されたあとも処分は俸給一か月分だけでした。

 

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この記事を書いた人

歴史ドラマブロガー・フミヤ

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