夏潯と謝雨霏がようやく互いの気持ちを確かめますが、紀綱は謝雨霏を手放そうとせず、三人の関係は悲しい結末を迎えます。
宮中では徐皇后が永楽帝に最後の言葉を残して亡くなります。妻を失った永楽帝は北平への遷都を進め、夏潯に北方の韃靼と瓦剌への対応を任せます。ところが紀綱は韃靼と瓦剌を戦わせようとします。多くの犠牲が出ても明が有利になればいいと考える紀綱と、そんな方法を受け入れられない夏潯の考えの違いが大きくなっていくのでした。
53・54・55・56話の内容
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夏潯と謝雨霏が再会して互いの気持ちを確かめ、紀綱との結婚をめぐる問題に夏潯が向き合います。
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謝雨霏が紀綱に腕輪を返して夏潯を選びますが、徐茗児の馬車にはねられてお腹の子を失い、徐皇后も亡くなります。
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永楽帝が北平への遷都を進める中、小桜が建文帝への恩から夏潯の毒殺を企てます。
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紀綱が小桜を利用して韃靼と瓦剌を戦わせ、犠牲をいとわない紀綱と夏潯が決裂します。
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この記事にはネタバレがあります。
錦衣夜行 53話
西門靖が彭梓琪に求婚
西門靖は彭梓琪に結婚を申し込み、二人はようやく互いの気持ちを確かめます。
一方、夏潯は二人に謝雨霏へ休書を渡したのは自分の争いに巻き込まないためだったと明かしました。西門靖たちから直接話すよう勧められた夏潯は謝雨霏との再会を望みます。
夏潯と謝雨霏が回春堂で再会
謝雨霏は紀府を抜け出して回春堂へ向かい夏潯と再会。二人は抱き合い互いの気持ちが残っていることを確かめます。謝雨霏は紀綱が大報恩寺の帳簿を利用していることを伝え、夏潯に注意するよう頼みました。しかし紀綱が部下を連れて現れて謝雨霏を連れ戻します。
永楽帝も二人の問題を解決できない
夏潯は永楽帝に謝雨霏と紀綱は正式な婚礼を終えていないと訴えます。徐茗児から事情を聞いた永楽帝も夫婦の問題への介入を避けました。
その後、夏潯と謝雨霏は再び会いますが、謝雨霏は夏潯から離れることにします。夏潯は妊娠中の謝雨霏が飲もうとした酒を代わりに飲み、彼女を守ると約束するのでした。
感想
夏潯がようやく謝雨霏に本心を話しました。でも、正直なところいまさらですよね。
夏潯は謝雨霏を危険に巻き込みたくなかったから休書を書きました。気持ちは分かりますが本人に相談せず、一方的に離縁したのは夏潯です。
夏潯は自分なりに謝雨霏を守ろうとしましたが、夏潯は勝手に考えて行動して謝雨霏がどうしたいのかは後回しでした。
紀綱と徐茗児の行動は問題ですが。そんなに危険な人たちがいるのに別れる方が危ないと思いますが。夏潯は謝雨霏の関係がここまでこじれたのは、かなりの部分は夏潯にありますよね。
錦衣夜行 54話
謝雨霏が紀綱に腕輪を返す
紀綱が酒に酔って眠っている間に、謝雨霏は紀府から抜け出します。紀綱は夏潯との待ち合わせを知らせる紙を見つけ、城門を閉ざして謝雨霏を連れ戻そうとしました。南街で追いついた紀綱に対し、謝雨霏は自分が選ぶのは夏潯だと言い、紀綱から贈られた玉の腕輪を返します。
徐茗児の馬車が謝雨霏をはねる
そこへ夏潯との復縁を阻みたい徐茗児が、自ら操る馬車でやって来ます。馬車は制御できなくなり、謝雨霏をはねました。謝雨霏は輔国公府で治療を受けて命を取り留めますが、お腹の子は助かりません。永楽帝は徐茗児に謹慎を命じ、紀綱も夏潯との争いについて叱責しました。
徐皇后が永楽帝に別れを告げる
宮中では徐皇后の容体が悪化します。皇后は永楽帝に、民を大切にすること、人材を広く求めること、徐家を特別扱いしないことを頼み、そのまま亡くなりました。永楽帝は長年連れ添った妻を抱き、北平へ連れて帰りたいと悲しみます。
徐皇后が永楽5年に亡くなったのは史実
徐皇后が亡くなりました。
徐皇后は明の建国に功績のあった徐達の娘です。朱棣が靖難の役を起こしている間には北平を守り、朱棣が永楽帝になると皇后になりました。
史実では永楽5年(1407年)7月に皇后が亡くなりました。皇后の死後、朝廷では鐘や太鼓を鳴らさず、官僚も喪服を着るなど大規模な服喪が行われました。
徐皇后は徐達の娘なので徐家は皇帝と姻戚関係にありました。このような皇后や皇太后の親族を「外戚」と呼びます。皇帝の妻や母の一族は皇帝との血筋の近さを利用して高い地位や大きな権限を得る場合がありました。
でも徐皇后は自分の親族だからという理由で徐家を特別扱いしないよう朱棣に求めたと伝えられています。ドラマでも史実の徐皇后の願いが再現されていますね。
錦衣夜行 55話
永楽帝が夏潯に北平調査を命じる
徐皇后を亡くした永楽帝は、夏潯に都を北平へ移す考えを話して現地を調べるよう命じます。紀綱には天津へ錦衣衛の役所を設ける仕事が与えられました。一方、謝雨霏は唐賽児と以前自分が営んでいた店を訪れて困っている少女・小桜と出会います。
小桜が夏潯の毒殺を企てる
小桜は韃靼太師・阿魯台の義女でした。祖父はかつて建文帝に命を救われていて、小桜は建文帝から帝位を奪った永楽帝を恨んでいました。そこで側近の夏潯を殺そうと考え、謝雨霏の親切を利用して輔国公府へ入ります。
夏潯が小桜を逃がす
小桜は酒に烏頭と断腸草を入れて夏潯に勧めますが夏潯と謝雨霏に見破られます。夏潯は小桜が建文帝の仇を討とうとしていたことを知り、彼女を殺さず逃がしました。
すると紀綱は小桜の恨みを利用しようと考え、配下に芝居をさせて彼女へ接近します。
永楽帝が北京を都にした
永楽帝は遷都の準備を始めます。それまでは明の都は金陵(南京)でした。でももともと北平(北京)は朱棣の領地でしたし、モンゴルとの戦いをみすえて北方を重視していたので、最終的に都を北京へ移しました。
『明史』では永楽元年に朱棣が北平の地名を北京に改め、行政組織の順天府を設置。その後、北京では宮殿などの建設が進み、永楽19年(1421年)に正式に北京が首都になりました。
錦衣夜行 56話
夏潯が北方へ向かう
永楽帝は北平への遷都を進めるため、明と対立する韃靼と瓦剌への対応を夏潯に命じます。夏潯は謝雨霏と西門靖を連れて北へ向かい、途中で彭梓琪も合流しました。一方、紀綱は小桜に、自分はかつて夏潯から裏切られたと偽って話します。紀綱に好意を持つ小桜はその説明を信じ、夏潯への恨みをさらに強くしました。
紀綱が小桜を利用する
紀綱は小桜の髪を切り、それを彭梓琪のものに見せかけて西門靖を動かします。さらに配下の刺客を瓦剌へ送り込み、集まっていた有力者たちを襲わせました。瓦剌側は韃靼の攻撃だと考え、報復を決めます。
韃靼と瓦剌が開戦
紀綱は小桜を義父・阿魯台のもとへ帰し、瓦剌より先に兵を出すよう説得させます。阿魯台は小桜を信じ、攻撃を決断しました。事情を知った夏潯は紀綱を問い詰めますが、紀綱は両勢力を戦わせれば明が北方で有利になると主張。夏潯は多くの人を犠牲にする方法を受け入れず、二人の対立は決定的になります。
遊牧民を団結させないのは永楽帝の方針だった
永楽帝が韃靼と瓦剌の双方に称号を与えたり使者を送ったりしたのは、両者と仲良く共存するためというより、モンゴル諸勢力を一つにまとめないためでした。明に従う首領には王号や恩賞を与え、別の勢力より有利な扱いをします。ところが一つの勢力が強くなりすぎると、今度はその勢力を攻撃しました。
実際に永楽帝は瓦剌の馬哈木らへ王号を与えていますが、韃靼が弱くなって瓦剌が勢力を広げると、1414年には明が瓦剌を攻撃しています。永楽帝にとって重要だったのはモンゴル側を団結させずに、明の北方を脅かすほど強い勢力を作らせないことでした。
ドラマで紀綱が韃靼と瓦剌を争わせようとする発想そのものは、明の対モンゴル政策から外れたものではありません。でも、刺客を送り込んで両者を騙し大規模な戦争を起こしたという事件はドラマ独自の設定です。
主な登場人物と結果
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夏潯:輔国公・永楽帝の臣下
謝雨霏と再会して互いの気持ちを確かめます。徐皇后の死後は永楽帝から北方への対応を任されますが、韃靼と瓦剌を戦わせた紀綱の方法を認めず、紀綱と決裂します。 -
謝雨霏:夏潯の妻
紀綱のもとを離れ、自分が選ぶのは夏潯だとはっきり伝えます。徐茗児の馬車にはねられて命は助かったものの、お腹の子を失いました。その後は夏潯とともに北方へ向かいます。 -
紀綱:永楽帝に仕える錦衣衛の重臣
謝雨霏から腕輪を返され、彼女に拒絶されます。その後は小桜を利用し、韃靼と瓦剌を争わせて明を有利にしようとします。そのやり方を夏潯に否定され、二人の対立は決定的になります。 -
西門靖:夏潯の仲間
彭梓琪に結婚を申し込み、ようやく互いの気持ちを確かめます。その後は夏潯とともに北方へ向かいます。 -
彭梓琪:彭家の娘
西門靖の求婚を受け、二人の関係に答えが出ます。夏潯たちが北へ向かったあと、西門靖を追って合流します。 -
徐茗児:徐皇后の妹
夏潯と謝雨霏の復縁を阻もうとして馬車を走らせますが、謝雨霏をはねてお腹の子を失わせてしまいます。永楽帝から謹慎を命じられました。 -
徐皇后:永楽帝の皇后・徐達の娘
病状が悪化し、永楽帝に民を大切にすることや徐家を特別扱いしないことを願って亡くなります。 -
永楽帝:明の皇帝
徐皇后を亡くしたあと北平への遷都を進め、夏潯に北方の調査と韃靼・瓦剌への対応を命じます。
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